問題解決する事を楽しみに
社会には色々な慣習と価値観がありますね。
安定した環境で長年に渡り普遍的で誰にとっても良い結果が出て、誰でもが善人と認められる結果になり、不安も後悔も孤独も無く上り坂の人生を歩むべきでしょう。
私が子どもの時は大多数の人間の道はそういうもので、そうあるべきだし、そうなる筈だと思っていました。
親世代の人々や世間一般が、「今の人達は恵まれている。」と言っていたので人類全体がだんだん良くなるばかりで善人も多くなるという気がしていたようです。
不安は誰にでも生じるもので、自分が不安に感じる事では人は不安を示さなかったりするのですが、人に依って同じ不安への対処の仕方を心得ていたり、もっと大きな不安があるのでそれ以外は不安の中に入っていなかったり、ということがあるようです。
乗り越えられそうな不安は、問題を解決する方法を考えれば、逆に自信に繋がるかも知れません。
と思って何か色々読んだり方法を考えて頑張っていた時もあったのですが、難しい事ばかりです。
でも頑張らなくちゃ、なのです。
頑張った人には、運が味方することもあるでしょう。
そもそも「恵まれている」の基準は、物価的なもので判断する人が多いですよね。
昔に無い物が今はあるという、当たり前の事をもさ重要そうに言う人は、単なる妬みや僻みが原点ではないでしょうか。
それよりも暮らしやすさや日常の満足感などで評価することも重要です。
心の豊かさは、モノでは満たすことは出来ません。